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挑む男の肖像 PORTRAIT OF A MAN DARES TO CHALLENGE

挑む男の肖像 PORTRAIT OF A MAN DARES TO CHALLENGE

横綱 照ノ富士

この男が、土俵に戻ってきた。大関に昇進し、いずれは綱取りかと目されるなか、病気と怪我によって一度は序二段まで陥落。そこから不屈の闘志で横綱まで駆け上がった照ノ富士が、満身創痍のなか令和6年一月場所の土俵に上がった。

やるのか、やらないのか――常に自らに問いかけながら歩み続けてきた男が、同場所千秋楽で手にしたのは、幕内最高優勝の賜杯だった。

母国を離れ、絶えず挑戦を続けているように見えるたくましき男の生き様の一端を、革新的な時計製造への挑戦をやめないスイス発のウォッチブランド、クストスの腕時計とともにここに刻みたい。

やるのか、やらないのか。
自身に問いかけ、
答えを導いてきた日々

令和5年は休場が続いたなかで体調が危ぶまれていた横綱だが、令和6年1月場所、土俵にその姿はあった。二日目にして早くも金星を献上するも、持ち前の地力を発揮して、見事に千秋楽の優勝決定戦を制した。彼の不屈とも思える闘志の源泉とは。

優勝おめでとうございます。出場さえも危ぶまれていたと思いますが、最高の結果を手にしました。まず、場所前の思いを教えてください。

土俵に上がれるのか?という外野の声もありましたが、僕ら力士は普段から朝起きてから寝るまで、1日1日の生活をとにかく場所に向けて、毎日変わらない日常で稽古を続けるだけ。ですので、今回自分が土俵に上がる決断をするのは難しいことではありませんでした。やれるやれない、ではなく、やるかやらないか。それだけの話です。

結果、横綱は「やる」を選択されて、見事賜杯を手にしました。そこに対する思いは、やはり責任感というものがあるのでしょうか。

横綱となり、「責任感」という言葉をよく言われますけれど、果たしてこれまで「責任」はなかったのか? とも思うんです。もちろん立場によって多少重さは違うかもしれませんが、やはりこれまでも「責任」をまっとうすべく土俵に立ってきました。それは他の力士もそうだと思います。一方で「横綱としての責任感」がないのかといえば、確かに「ある」んですけどね(笑)。

今回の優勝は特別なものでしたか。

今回に限らず、一度番付を落としてからは、自分のなかではいつ辞めることになるかわからない状態。そんなギリギリの状態だからこそ、変わらぬ毎日を過ごし、むしろ「特別」ということがないように務めています。だから、一番一番、目の前のことに取り組む。むしろ「この日のこの一番だけは勝ちたい」という気持ちは不要なんです。筋トレにしても稽古にしても、今はできないことのほうが多い体ですから、そのためにも日々の生活は人の倍以上考えないとダメ。考えることは誰にも負けてないと思います。

モンゴルから日本へ。
チャレンジの連続を乗り切る
秘訣とは

モンゴルを離れ、高校相撲界の名門、鳥取城北高校に進み、相撲の道を歩み始める。まっすぐに前だけを見据えて高みに登りつつあった大関、照ノ富士を、病と怪我が襲う。一度は引退を考えた彼だが、そうした困難を乗り越える秘訣はなんだったのか。

高校時代に異国への留学、ご苦労も多かったのではないでしょうか。

他人から見れば、大変に見えるかもしれませんが、目標を立ててその道に邁進していると、それ以外のことは目に入らなくなるんです。とにかく相撲で強くなる。この思いを胸に必死に頑張りさえしていれば、ホームシックとか余計なことは頭から消えてしまいます。他の同郷力士の苦労話も聞きますが、自分にはまったく関係のない話でした。

自分の立てた目標に対してくじけそうになることはなかったのですか?

もちろん、あります。ただ、稽古がキツいとか、厳しいとか、一時的な感情で辞めたくなったことはないですね。強くならない時期、伸び悩んだ時期はありましたけど、そのときは、逆にどうしたらいいのかを自問自答し続けました。

そういう時期に困難を乗り越えるためのご自身の秘訣はありますか?

みなさんも経験あるとは思いますが、そういうときはどうします? 迷った時は、一旦棚上げして一から考え直したり、初心に帰ったりしませんか? 自分もそうです。やると決めている以上、迷いが生じたら最初の自分をもう一回思い出して、初心に帰るだけなんです。

序二段への陥落から横綱までの復活劇がありましたが、その際も同様に、「初心忘るべからず」を徹底されたのですか?

実は、その時は、そこまで強い気持ちではいられなかったんです。自分のなかでは引退を決断していましたから。病気と怪我で体が本当にキツかった。どう頑張っても筋肉はつかないし、やればやるほどボロボロになっていく感覚で、続けても意味がないと感じたんです。親方には何度も相談しましたが、そのたびに跳ね返されましたけどね(笑)。だから、いくら初心に戻って、思い描いていた夢を考えても無理だったんです。

衝撃的な事実ですね。それでも、横綱は這い上がってきました。一旦辞めると決めた気持ちを奮い立たせるのは並大抵のことではないかと思います。

親方から、「とにかく病気と怪我を治そう。辞める辞めないという話はそこからだ」と言われ、確かにそのとおりだと思ったので、まずは治療に専念しました。すると、体調が戻るにつれて、「もう一回土俵に立てるんじゃないか」という気力が沸いてきたんです。もちろん、大関から番付を落としたまま辞めるのか、という自分のプライドとの戦いもありました。妻とも相談しました。

想像を絶します。それでどうされたのですか?

一回だけ“家出”をして、一人で考える時間を設けました。自分で決めないと始まらないと。人の意見を聞いてしまうと、何も自分では決断できなくなってしまうので。やるのか、辞めるのか? やる。やるなら、どうする? 中途半端にズルズル続けるのか? いや、明日からすぐやる。徹底してやる。自問自答してこれを決断できたのが大きかったです。今まで応援してくれた人のことも頭をよぎりました。

とにかく、一つ一つの決断から逆算して自分のすべきことを導き出してきたのが、照ノ富士関流というわけですね。

口で言うのは簡単ですが、行動力は、本当に行動した人だけが証明できること。頭で考えたのなら、それはすぐにでも行動に移すというのが、僕なりのやり方かな。

理想の力士像とは?
強くあるための
“マイルール”に迫る

自分の立てた目標は着実に遂行する。そうした強い気持ちが横綱を支えているように映る。そんななかで自身が考える「マイルール」は、シンプルなことだった。その原動力は、実は「生きる」ことへの強い思いでもあったようだ。

日々、自らに課している“マイルール”のようなものはありますか?

朝起きて最初に考えるのは、この日のやるべきこと全部に対してベストを尽くすということ。稽古やトレーニングだけじゃなくて、打ち合わせだとか、人と会うスケジュールだとか、自分を高めるための英会話だとか、家族と過ごす時間や趣味の時間もそう。自分がそれに関してできることを精一杯やるだけです。

それは、理想の力士像を追求するためですか?

特に理想があるわけではありません。この考えに至ったのにはわけがあります。病気治療に通っている医者に「あんた、このままの生活をしていたら、あと2年で死ぬよ」って宣告されのが衝撃すぎました。「死」を意識したときに、より「生きる」ことを大事にしたいと思ったんです。自分の記憶がある1日がどれだけ大事か。それを考えるようになりました。

良いものは1日で成らず、
思いを重ねて生まれるもの

腕時計好きという照ノ富士関だが、このところは腕時計熱が冷めていたという。そんななかで、クストスのスポンサードを受けた現在、またその魅力を感じている模様。改めて、横綱が抱く腕時計への想いや、時間に対する姿勢、オン・オフの切り替えなどを伺った。

腕時計熱は、どうして一度冷めてしまったんですか?(笑)

重く感じたりだとか、着脱が面倒でつけ忘れたりだとか、腕から外していたら失くしちゃったり、だとか。そんなことばっかりあって(笑)。今回スポンサードしていただいて、クストスの時計を着けたら、今まで他の時計で感じていた“嫌だな”という要素が感じられなくて、楽だし、外そうという気にならなかった(笑)。

ありがとうございます。クストスは、どんなところが魅力ですか?

腕時計は、アクセサリーという面でも好きなので、ビジュアルもいいですよね。細かな船のモチーフや、腕時計として新鮮味のある素材感、それに、時計につけられた「チャレンジ」というネーミングも気に入っています。

さて、お忙しいなかで、オフタイムも重要だと思うんですが、横綱はどのようにオフに切り替えていますか?

最近は本当に、オフタイムがなさすぎて。自分は1年でやらなきゃいけないことをリスト化して遂行していくタイプなんです。だから、やりたいことをどんどんスケジュールに入れてしまうと、結局オフタイムがなくなる(笑)。帰宅した時に、子供と遊んだりするのが、束の間の休息です。それでもそこまで長くないですけど。

時間の使い方もさすがストイック。幸せな時間というのは、どんな時間でしょう?

その時々で変わるものですが、今は、自分を応援してくれている人たちに良い影響を与えられて、良いリアクションがあると、貢献できているなと、幸せに感じます。

一番の時間は本当に早くて、1分を超えることのほうが少ないと思います。例えば、相撲漫画などでは1話2話かけてじっくり取り組みを伝えたりしますが、実際横綱が感じる一番の時間というのはどういったものですか?

基本的に自分は、稽古場を場所と思って、場所に上がると稽古だと思って、それぞれ土俵に上がります。一番一番、とにかく緊張感がないように、いつもと同じ平常心で、という心がけです。だから、野球のボールがスローモーションで見える、とかそういった感覚はありません(笑)。「調子がいい」って罪だと思っていて、そういう人は調子が悪いとどうなっちゃうの?って思います。調子の上がり下がりにいいことはありません。

特別なことが何ひとつ起こらないようにコントロールしているんですね。

土俵の上では同じ相撲は一度もない。その時々の状況で変わってきます。でも、常に自分が冷静でいれば、土俵で起きるあらゆることに冷静に対処できるんです。

目標を立て、実現し続けた
今後の照ノ富士関の姿は?

伊勢ヶ濱部屋だけでなく、角界の顔でもある横綱、照ノ富士関。自身でも「そう長くはないはず」としながら、一番一番真摯に戦う姿は、心打たれるものがある。そんな横綱が思いを馳せる未来の姿はどのようなものだろうか。

朝稽古を拝見して、伊勢ヶ濱部屋の関取衆は、今年特に好調で番付もいいですね。そうした後進の指導など、非常に熱心にされている印象でした。

部屋を背負うとか背負わないではなくて、とにかく若い子たちには後悔してほしくないという思いが強いんです。体が動く時にやらないと、力がつく期間は限られていますし。この20代、30代というのが一番大事。だから、あの時ああしておけば、ということがないように指導するようにしています。

自分で感じたことを素直に伝えていくわけですね。

自分が経験したことしか伝えきれません。本当にやった人にしか語れないこともあります。自分は、今できることをやっているだけなんです。

横綱は、メディアの取材や撮影にも積極的に参加している印象を受けますが、そこへの思いは? 相撲界を牽引するような思いもありますか?

一力士として、自分なりに貢献できることがあったら全部やっていきたいですから。伊勢ヶ濱親方も、その点は何も言わないので。協会がどうこうと言う話はできる立場ではないですし、あくまで力士としてできることを精一杯やるという感じです。

今後も一貫して「ドゥ・マイ・ベスト」を貫かれるのですね。

もちろん、その時々に目標を立てますよ。いつも5年後の自分を見据えながら、1年刻みの。それを立てないと、実現ができないですから。現役でいられる間は、ただ一場所一場所、一番一番、感謝しながら、今やれることに尽くしていきたいです。

1991年モンゴル・ウランバートル出身。2009年に名門鳥取城北高校に相撲留学。2010年には四股名「若三勝」として間垣部屋に入門。2013年に伊勢ヶ濱部屋へ移籍し、四股名「照ノ富士」に改めた。その後、順調に昇進を続け、関脇時に自身初となる幕内最高優勝を果たした2015年には、大関へと昇進。ところが、怪我と病気に苛まれ、序二段まで陥落する。2021年、大関に再昇進した同年5月場所で優勝したことで前場所に続く連続優勝となった。綱取りとなる同年も「優勝次点」の13連勝を挙げ、令和初となる第73代横綱に昇進。なお、2021年には日本国籍を取得している。