やるのか、やらないのか。
自身に問いかけ、
答えを導いてきた日々
令和5年は休場が続いたなかで体調が危ぶまれていた横綱だが、令和6年1月場所、土俵にその姿はあった。二日目にして早くも金星を献上するも、持ち前の地力を発揮して、見事に千秋楽の優勝決定戦を制した。彼の不屈とも思える闘志の源泉とは。
優勝おめでとうございます。出場さえも危ぶまれていたと思いますが、最高の結果を手にしました。まず、場所前の思いを教えてください。
土俵に上がれるのか?という外野の声もありましたが、僕ら力士は普段から朝起きてから寝るまで、1日1日の生活をとにかく場所に向けて、毎日変わらない日常で稽古を続けるだけ。ですので、今回自分が土俵に上がる決断をするのは難しいことではありませんでした。やれるやれない、ではなく、やるかやらないか。それだけの話です。
結果、横綱は「やる」を選択されて、見事賜杯を手にしました。そこに対する思いは、やはり責任感というものがあるのでしょうか。
横綱となり、「責任感」という言葉をよく言われますけれど、果たしてこれまで「責任」はなかったのか? とも思うんです。もちろん立場によって多少重さは違うかもしれませんが、やはりこれまでも「責任」をまっとうすべく土俵に立ってきました。それは他の力士もそうだと思います。一方で「横綱としての責任感」がないのかといえば、確かに「ある」んですけどね(笑)。
今回の優勝は特別なものでしたか。
今回に限らず、一度番付を落としてからは、自分のなかではいつ辞めることになるかわからない状態。そんなギリギリの状態だからこそ、変わらぬ毎日を過ごし、むしろ「特別」ということがないように務めています。だから、一番一番、目の前のことに取り組む。むしろ「この日のこの一番だけは勝ちたい」という気持ちは不要なんです。筋トレにしても稽古にしても、今はできないことのほうが多い体ですから、そのためにも日々の生活は人の倍以上考えないとダメ。考えることは誰にも負けてないと思います。